ほとけさん

稽古をしていると、技が全然かからないという人に出会います。
武道的基礎がないのでそんな時はどうしようもないのですが、
そういう人や場面に遭遇した場合
私は「仏さんが現れた」といことで、心の中で手を合わせるようにしています。

ここが面白いとこで、
こういう場面に会いますといままでの考え方を再点検しないといけません。
知らず知らずに作ってしまっていたこだわりに気づき解除しなければなりません。
気づかないうちに、制限をかけてしまっているということです。
世界を小さくしてしまっているのです。

人というのは自分の見たいもの、興味があるものしか見れないと言われています。
自分の無意識の制限の中のものしか意識に上がって来ないということになり、世界を狭めてしまいます。
だんだんと頭の中が凝り固まっていってしまうのです。

特に自分がこれはいいものだと思っている事柄に対して無意識に悪い意味でのこだわりを持ってしまいがちです。
排他的になるというか、許容量が減る感じになりがちです。

※こだわりをなくすというニュアンスは
誰かの分析で「新海誠さんは知る人には知られている人だったのですが、アンハッピーエンドの作品を作っていたのでいまいちメジャーになれなかった、けれども「君の名は。」ではハッピーエンドになり大ヒットしたと。
しかしそれはお客さんに併合したから商業的にヒットしたのではなく、新海誠さんのこだわりがいい意味でなくなった結果ではないのか」というものがありました。
新海誠さんは「思春期の恋愛を描く」をテーマにしているらしいのですが、
だからこだわること自体はいい悪いはないのですが、
うまくいえませんが自分を不自由にするこだわりはなくした方が自分の魅了をより表現できる
という感じですかね。

ですから、うまくいかないというような場面に出会うということは、その凝りに気づきほぐすチャンスなので「仏(ほどけ)さん」と私はいうのです。
この「仏さん」によって、いままで見捨てていたものにも意識がいったり、今まで考えもしなかったものにも目を向けれるようになり、思わぬ発見があります。
より包括的により柔軟に、大きく変化することができるのです。

なんかいいこと尽くめですね。

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