姿勢力

最近感じているのは、武道のハタラキはすべて「姿勢力」からくるものなんじゃないのかなあというものです。
感覚(ニュアンス)としてわかりやすいので、自分の中で勝手にそう言っているのですが。

これだと元々そういうハタラキが一人一人に既に備わっているということがわかりますし、
やろうとしなくてもいいということも掴めると思うのです。

これはある状態の感覚を表していて、
人によってはそれを「構え」と言ったり、「統一体」と言ったり、「丹田の力」と言ったり、「呼吸力」と言ったり、「中心軸」と言ったり、「体全体を使う」と言ったりしているものだと推測しています。

「姿勢力」というのは気が円満充実している状態であり、そのような状態の時には既に摩訶不思議なハタラキが現れているというものです。

武道の各種の動きはこの状態を崩さずにどう円滑に動くかというものだろうと思うのです。
站椿法はこの稽古方法だろうし、合気道の一教運動もこれだろうし、各種の型もこの状態を保ったままどう動くかの稽古だろうと思うのです。
大東流や古武道の接触点での回転ではたらきかける技も実際は体全体、丹田のハタラキ=姿勢力の表現だと思うのです。
この姿勢が持っているハタラキを強調しているのが養神館合気道だろうと思うのです。

「姿勢力」という感じは、社交ダンスのようなものを想像してみれば、なんとなく感覚がわかると思います。
けっして指先に力を入て、何かしようとして相手を御そうとしているイメージは浮かばないと思います。

で、うちの合気道ではその状態を球(タマ)と呼んでおり、
武道的課題としてその球(己の世界=腰回りが現れる状態)をどう運ぶかという研究のもとに、シモクや八つの体捌きが考案されたと伺っています。

この「姿勢力」という言葉をヒントにいろいろ研究中です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。