アホの子に おれはなる!!! どーん

最近感じているのは、できる出来ないというのは才能のあるなしではなく、慣れているか慣れていないかということなんだろうなということです。

その人がどのように時間を過ごしてきたのかということ。どういう習慣を持っているのかということ。

私たちは何かを表現する時には、かならず時間と空間を伴ってしか表現できません。
言い換えると、私たちは自分というものを時間と空間という形式で表現する存在であるということ。

もう一度言いますが、ニュアンス的には
私たちは時間と空間の中で自分を表現しているのではなく、自分を時間と空間という形式で表現しているということです。

・・・・・・・・・・。

後者は自分とは別に時間と空間があるのではなく、自分と時間と空間が不可分であるということでありますから
おおげさにいいますと、自分が時間と空間を生み出している当のものでもあると言っていいのではないのかということです。

前者は自分と世界を分離させて感じている感覚で、後者が自分と世界が主客のない彼我一致した感覚からくるものと言えそうです。

後者の認識から言いますと、慣れつまりはどのように時間を過ごしてきたのか(習慣)ということがそのままその人そのものを表しているということになります。
だからセンスなども大事でしょうけれども、その人がどのような習慣を持っているのかということの方が大事なんだと私は思ってしまうのです。

私たちが時間という形式での表現者であるとするならば、どのような習慣を持っているのかということは、そのことがそのままその人の能力や人柄や性格などを表していることでもあり、つまりは習慣(思考や考え方の癖も含む)=主観的時間(能動的にどう過ごすかという意志)というのはその人の魂であると言ってもいいと思うのです。
そして、習慣であるということは
それらは絶対ではなく、変えていくことも出来るということです。

・・・以上のことは私の勝手な考えですけれども

認識(思考の習慣)を自ら変えていくって、大事なことだと思います。

うちの合気道では、考え方を学ぶことをけっこう大事にしています。
感性も大事なのですが、自分の枠を固定したままで感じることを大事にしているだけでは限界があるように思えます。

自分の中にある今までのゲシュタルト(思考様式)を認識・解体し
新たなゲシュタルトを構築し、認識を変える。
認識が変わることで感覚も変わる。
それによって生まれる新たな感覚、新たな感情。
そして意識の変化。
そんなアプローチ(学習方法)もあっても良かろうと。

それは、
いつか変わるというより、自ら積極的に変容していくという感じです。

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